政教分離原則

『頭を冷やすための靖国論』を紹介したら、三土修平先生からありがたいコメントをいただきました。

お礼といってはなんですか、今日は『頭を冷やすための靖国論』を再読しました。やはり、かなり刺激的で面白い。


靖国問題に関しては日本人は、どんな意見を持つにしろ、まずは自分がどういう立場にたって、何を論拠にどういう発言をしているのか、まずは自覚してみる必要性があるように思う。


自分の意見に対する客観性がないというか、日本人は公私のけじめをつけるのが下手なので、まずは議論より、自覚することを先にしないと、議論が捻れたまま、どんどんあらぬ方向に向かっていくことになる。



そんなことを考えていたので、かって書いた政教分離に関する、自分自身の書き込みを整理してみた。


政教分離の目的

1.国民、個々の信教の自由を守ること、
2.国政に、宗教上の争いを持ちこまないこと
3.国政に、「聖なる目的」(超自然的な判断に基づく達成不可能な目的)を持ち込まないことです。これは、近代国家を作る上で押さえておかなくてはなりません。


政教分離は近代国家だけの原則か

ちなみに「政教分離」はマルクス主義でもなんでもなくて、近代国家の原則、人間の良心の自由「信教の自由]に対して、公権力はある種の節度と距離を保つべきであるということ。
ちなみにそのアイデアの元になった考え方は近代以前からある。


カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」イエス
「その神にあらずして祭るは諂うなり、義を見てせざるは勇なきなり」孔子
「鬼神(祖先の御魂と天地の神霊)は敬して遠ざけるべし」孔子


政教分離原則のあり方は、国によってまちまち

他の国の法律や制度を見ても、政教分離原則は、近代国家としては当然と考えられているんですが、その形成過程や制度にはいろいろあって、それぞれの国で、歴史的に徐々に作られていったみたいです。

国教を作らないことで政教分離しているアメリカ、国教を作ることで政教分離したイギリスのように、対称的な例すらあります。憲法ではなくバチカン市国との国際条約(コンコルダート)の形で規定されているイタリアのような国もあります。


ウィキによれば
政教分離原則 - Wikipedia

【国教制度】
マルタ - カトリック
イングランド - 英国国教会
スコットランド - 長老派教会
デンマーク - ルター派教会
フィンランド - ルター派教会
ギリシア - ギリシア正教
チュニジア - イスラム

【コンコルダート】
オランダ
ベルギー
ルクセンブルク
アメリカ合衆国
ドイツ
オーストリア
イタリア
アイルランド

【厳格な分離】
フランス(ライシテ)
トルコ
メキシコ
ポルトガル

憲法上における政教分離規定】
オーストラリア


国教を作ることが政教分離になる?

たとえばイギリス。

イギリスは、非常に面白いケースです。
もともと16世紀にヘンリー8世の離婚問題で、ヘンリー8世ローマ教皇が対立して、キレたヘンリー8世が、自分の領国内の教会を、カトリックから独立させて、自分が首長となる教会を作ってしまったのが、英国国教会の始りです。
その後、ヘンリー8世の後をついだ、エドワード6世エリザベス1世ジェームズ1世の時代に、プロテスタントカトリックの争いを避けるために、教義的にはカトリックに近い存在でありながら、聖書や典礼書を翻訳したりなど、プロテスタント的な改革も取りいれる中道的な教会を作っていくんです。
早い話が、旧教にも新教にもフレンドリーな世俗的な教会を作って、ローマ教皇庁や大陸の新教諸派からの内政干渉を避けようとしたわけです。
国教を作ることが、結果的に政教分離になっていったという逆説的なケースです。いまだに英国国王の王位継承資格に「カトリックでないこと」という条件があったりします。

スエーデンやデンマークなども、同じようなことでしょう。あまりうるさいことを言わない宗派を国教にしておいて、うるさく言ってくる他派やローマ教皇庁の影響を抑制しているわけです。


同じアングロサクソンなのに、これとまったく逆をやったのは、国教を作らないことが政教分離になっているアメリカです。あの国で国教なんか作ったら、宗教間の対立で内戦が始まってしまうんですね。現にユタ戦争(モルモン教徒VS合衆国政府)ってありましたし。
アメリカの政教分離の考え方は、すべての宗派に公平に……です。
現在の日本国憲法も原則的には、アメリカ流で、よく靖国裁判で問題にされる「目的効果基準」も、本当に公平になっているのか?を量るための手段です。


このイギリス流、アメリカ流の「政教分離」の他に、フランス流というか、フランス革命に由来する政治から完全に宗教的なものを排除しようとする、完全政教分離の考え方もあります。

だいたい西洋だけでも「政教分離」はこの3パターンがあるわけです。これは、どれが正しいというよりも、政治に宗教間の対立を介在させない方法を、それぞれの国が歴史的に探っていった結果なんでしょうね。


案外、日本の場合、明治の元勲たちはイギリス流にしたかったのではないでしょうか、キリスト教の影響が及んで、日本が植民地にされるのが怖かったんだと思います。国家神道も、本来はイギリス流の国教会みたいにしたかったのかもしれません。ただ歴史的には、天皇を極度に神聖視した軍部の人たちと公私のけじめのつかない日本人の性質のせいでそのプランは失敗しました。


戦後になって、今度はGHQアメリカ流を持ち込みます。しかし同じ多宗教でも、さまざまな一神教を奉じる人たちが、それぞれ共同体を作ってバラバラに広い大陸に住んでいるアメリカと違って、一人の人間の中に、仏教から神道からサンタクロースまで同居していて平気な多神教の日本人には、これがいまいちピンとこないんです。


また左翼の人たちは、フランス革命からロシア革命経由で「政教分離」といえば「完全政教分離」が理想なんだと主張している。でもこれは逆に国家が「無宗教」という宗教に染まってしまうことを意味していて、いまいちコワいですね。以前のフランスの暴動だってそうかもしれない。公教育が厳しくイスラム教を排除してしまったら、イスラム系の移民の方たちは子供を学校に通わせなくなっちゃいますよね。その結果、若者の将来の職業が……ということも暴動の遠因の一つではないかな……とは思う。


この三つの考え方が、戦後の日本の思想界ではごちゃごちゃになっていて、それぞれが自分たちこそが正しい「政教分離」の姿だと主張しているから、わけわからない議論になってしまうのではないでしょうか、いったいどうすればいいのやら……(苦笑)。やっぱり、妥当なあり方を歴史の中で探っていくしかないんでしょうね。

以上未整理だけど、なんとかまとめてみた。