ジェンダーフリー論争の黄昏


なんか泥試合になってきました。

http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/060825/060825.html:Title

http://macska.org/article/153:Title

バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?

バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?


「ブレンダと呼ばれた少年」に関しては、八木さんがこの本を保守派の方たちの間で流行らせてくれたおかげで、「医療の自己決定権」とか、「同性愛者の権利」とかを、保守派の方たちに説明しやすくなったという利点もあるんだがなあ。

ブレンダと呼ばれた少年
ブレンダと呼ばれた少年―ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか


アウトラインを説明しておくと

実は、人間の性自認とか性指向の決定に関しては、生得的な要素が強いとするダイアモンドの学説のほうが、ジェンダーフリーに対する親和性は高いのだ。

たとえジェンダーフリー教育が行われたとしても、生得的に性同一性障害や同性愛の要素を持たない一般の人の場合は、自然に男らしくなったり、女らしくなったりするからである。

逆に、性自認や性指向が後天的な社会環境による学習の結果であるとするマネーの学説のほうが、「きちんと男らしく育てないとオカマになってしまうぞ……」ということで、アンチジェンダーフリーに対する親和性が高いのだ。

そのマネーの学説を、最初に上野千鶴子や小倉知加子らのフェミニストが「女らしさは生得的なものではない」というゆがんだ形で引用し、自説を補強しようとしたことが、そもそも間違いだった。それはマネー学説を持ちだそうが、半陰陽やTS臨床を持ち出そうが同じことである。

ところが、反発を感じた八木秀次氏や世界日報などが、フェミニストに反論するためにダイアモンドの学説を持ち出したために、議論が捻れてしまった。

さらにmacskaさんは、ジェンダーフリー擁護派ではない、アンチバックラッシュ派だから、さらに議論がおかしな方向に捻れている。


一連の騒動で迷惑しているのは、たぶん故デビットライマーさんとミルトン・ダイアモンド先生に違いあるまい。


http://www.medical-tribune.co.jp/ss/main.html:Title
教育行政と現場


全国性教育研究団体連絡協議会理事長である田能村祐麒さんのインタビュー。例の七生養護学校問題の背景が、かなりわかる。

田能村でも東京都は,性教育の内容とか教材が不適切だからと言うだけでなく,法的というか,「教育課程や教材の届け出を怠ったから処分したんだ」と言ってる。

過激な性教育したからという理由では、処分は行われていないようです。

広瀬 いまの性教育バッシングは,性教育全体というよりは性教協に向けられていますが

やっぱり性教協が、ピンポイント爆撃で狙われていたか。

田能村 学校出てから軍隊に入って,終戦の翌年に帰還したんですが,教員養成学校(東京体育専門学校:現・筑波大学)を出ているので,勤務場所を指定されるわけです。
 それで,いきなり女学校に行かされた。自分の郷里の,大分県の旧制女学校でした。4年制でしたから,いまで言えば中学3年か高校3年の子どもです。それがずいぶんと“おませ”で,妊娠する子も珍しくなかったんですよ。

貴重な証言だと思う。
左翼の人たちは戦中といえば軍国主義しか考えないが、実は大正デモグラシー→昭和初期のエログロナンセンスという退廃的な風潮の流れが同時にあったことを忘れてはいけない。
それが軍部という官僚たちのモラルハザードを安易に許してしまって、戦争をひきおこしてしまった背景にもなっている。
それが戦後になって、戦時体制が終わるとだらしなく噴出する。

今の若い子たちのほうが、ずいぶんと真面目だと思う。それなのに「若者の性は乱れている」なんて言われてしまう。今の若者がなんかかわいそうになってきた。

ところが純潔教育が提唱されるようになり,性の問題を扱わないといけない,と実感させられた。

昔は、日本語で「純潔教育」といえば、「性教育」の婉曲表現だったんだな。それが、米ブッシュ政権が奨めている「純潔教育」と同じだと思われてしまっているということも、この問題をわかりにくくさせている原因かも。

田能村 だから,詰まっているところが違うんでしょ(笑い)。

国会が見ているのは表面的なことで,本質的なところでどう子どもを変えていくかにならない。

いたるところで議論が捻れているみたいです。