大峰山についてしつこく考える

女人禁制 (歴史文化ライブラリー)

女人禁制 (歴史文化ライブラリー)


去年の、大峰山大炎上から、いまだにしつこく気になっていたことがある。

図書館でユング心理学の本を探したついでに、この本を借りてきてお勉強する。

「女人禁制Q&A」源淳子、解放出版社よりも、イデオロギー色がなく、内容が充実していて、民俗学歴史学的にもきちんとした記載がされていたのでたいへん勉強になった。

仏教の戒律や神道の穢れ観、陰陽道などが、修験道に与えた影響や、修験者の行とマタギなど山の民の民俗との関係などにもくわしい記述がある。

やはり、女人禁制には、単純に女性差別とは片づけられない複雑な背景があるようだ。女人結界を解こうとしている方たちにもお勧めしたい一冊である。


ところで、私がずっと心にかかっていたのは、
かの伊田広行が、例の事件のとき、大峰山に持っていった質問状に書いた、この一節である。

13 部落出身者の入山が禁止されていたことがあったかとおもいますが、それが変えられたのはいつで、理由は何ですか?

ところが、今まで、ずーと調べてみたけど、大峰山に過去に被差別部落の出身者が登れなかったという記録がまったくない。
誰か、伊田氏の、この発言の根拠を知っていたら教えて欲しいくらいだ。

それなのに、この伊田質問が一人歩きして、未だに、過去において、女性だけでなく被差別部落民が、結界されていたと思っている方もいるらしい。困る。


どう考えても、昔から被差別部落出身者は結界されていなかったとしか思えない。

今回、この本を読んでもそんな記録は出てこなかった。

それどころか、修験者と山の民の近縁さを考えると、大峰山自体が、平地の農耕民から、異人として差別されていた対象だったかもしれないという思いを強くした。

修験者とは、もともと正規の僧侶ではない。
正規の僧侶は、源信や一休が実は皇族だったように、昔は主に身分の高い階層の方でないとなれなかった。

身分階層が低い人で、高い宗教的な境地をめざす人は、今でも、低開発国の貧しい家の子供がトップアスリートをめざすように、ひたすら山に籠もって、己の肉体を鍛えて、超人的な神通力を身につけようとした。それが修験者である。

とすると、昔の修験者の出自は……。


つまり、大峰山被差別部落出身者を結界なんかするわけがないと思うのだが……。



ところで、話は変わるが、大相撲の土俵なのだが、いっそ、力士と行司と土俵を整備する人以外は、男だろうと女だろうと上がれないとしたらどうだろう。
神聖な場所だから、内閣総理大臣といえども上がってはいけない。
表彰は、脇に作った表彰台の上でやってもらうとか……。

伝統も守れて、男女平等にもなって、八方丸く治まると思うのだが。
ちなみに、大相撲の土俵も異民族に対しては、結界されていない。