タイのクーデター

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/thai/news/20060921ddm007030145000c.html:Title

タイ・クーデター:国民、主権回復を期待 軍の介入に懸念も
 【バンコク藤田悟】19日に行われたタイのクーデターについて、タイ国内では、多くの人権団体などが軍の強硬姿勢を批判し、早期の民政復帰を求める声明を発表した。しかし、首都バンコクの一般市民の世論には、軍部への反発よりも、このクーデターが今春以降の政治混迷からの脱却につながる契機という期待の方が強いのが実情だ。

 15年前まで軍によるクーデターが恒常的に繰り返されてきたタイでは、「クーデターが政治行動に組み込まれた悪循環からの脱皮」こそが最大の政治的課題とされてきた。それが、民主主義の高い理想を盛り込んで97年に施行された新憲法となって具現化された。

 今回のクーデターによってこの憲法も停止され、表面的にはタイ政治がかつての悪循環に再び戻ってしまったような印象を与える。しかし、現実には、今回のクーデターには従来とは質的に大きな違いがある。

 従来のクーデターは軍が実権を握る目的で行われてきたもので、クーデターに続いて軍政が敷かれた。しかし、今回はクーデターを実行したソンティ陸軍司令官が当初から「できるだけ早く主権を国民に戻す」と公約しており、「あくまでも国民のためのクーデター」という位置づけがされているのが特色だ。

 このため、今回のクーデターに関して国民の間に警戒心は薄く、「タイ式民主主義の政治行動の一環」とさえ受け取られているのが実情だ。

 ただし、「いつまでも軍が政治に介入するのは民主主義の発展にはよくない。今回で最後にすべきだ」(タイ人ジャーナリスト)という冷静な意見も強い。事態が落ち着いた後に「クーデターの是非」を巡る論議が活発化するだろう。

 ◇タクシン首相は帰って来るな!

 【バンコク井田純】クーデターから一夜明けた20日、国軍司令部前には、軍の行動を支持する市民たちが続々と集結していた。路上では国王への忠誠を示す黄色の服や帽子を身に着けた市民が膨れ上がり、「タクシン(首相)はもう帰ってくるな」とのシュプレヒコールに、拍手が起きていた。

 一方、戦車など軍用車両が配置された首相府前では、兵士たちがハンモックをつって休息を取るなど、戒厳令下とは思えない平穏な空気が漂っていた。市民や観光客が兵士らに花を渡して記念写真を撮る姿が目立った。

 ◇ASEAN諸国、混乱長期化警戒

 タイのソンティ陸軍司令官が政権掌握を宣言した20日、多くの国々が軍部による政権転覆に懸念を表明し、「早期の民政移管」と「事態の平和的解決」を求めた。一方、東南アジア諸国連合ASEAN)主要国の間では、混乱の長期化が与える地域への影響を懸念する声も上がった。

 マレーシアのアブドラ首相は国営メディアに対し、「早期に国民に政権が戻り、選挙も適切な時期に行われることを期待する」と述べた。タイ駐在のフィリピン大使も「今後、銃撃戦などの暴力行為でタイ国王に不快感を抱かせないように望む」と語った。

 インドネシアのハッサン外相は「わが国はタイの発展と密接に関係している」と良好な経済関係を強調し、「ASEANの共通価値である民主主義がタイで続くことを望む」との声明を出した。シンガポールも「タイは地域の重要国。不透明な状況は地域の痛手となる」(外務省報道官)としている。

 一方、隣国のラオスの外務省報道官は「タイの国内問題であり、コメントはない」と表明。国境も「通常通りだ」と述べた。

 中国外務省の秦剛副報道局長も「中国政府は他国の内政に干渉しない」との立場を強調した。

 さらに、米国のボルトン国連大使は「短期的に重要なのは、バンコクの市街が平穏で、憲法に沿った措置がとられることだ」とテレビで表明した。

 ◇クーデター、戦後16回

 タイでは、過去にも軍人によるクーデターが繰り返されてきた。失敗に終わった反乱も含めると、末廣昭・東京大教授(アジア経済論)らによると今回で戦後計16回はあった。原因は軍部の考える国王下の「タイ式民主主義」と関係がある。政党政治が必ずしも国民各層の利害を代表するのではなく、時として私利私欲に走る利益集団になって社会に腐敗と混乱を招く、という考え方だ。

 クーデターにより憲法や国会を否定し、国王の承認を得て権力を掌握する。政治状況が安定すると暫定議会を設置し、新しい憲法を整え、その後総選挙を実施。しかし、文民政治に不満を抱くと再びクーデターを起こすパターンが続いた。

 今回のクーデターについて末廣教授は、「経済のグローバル化に伴う市場原理主義などの近代化を急激に導入しようとしたタクシン首相の政策を、軍部が『タイ式』の否定とみてバランスを図ったのではないか」と話している。

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 ◇タイの主なクーデター     

1932    立憲革命の後、憲法を発布しタイが立憲君主国に

  46    プミポン国王が即位

  47・11 陸軍中心のクーデターが成功、ピブン元首相が新首相に

  49・2  プリディ元首相が海軍と結びクーデターを決行するが鎮圧

  51・6  海軍がピブン首相を捕らえるがクーデター失敗

  51・11 サリット将軍の率いる陸軍と警察が協力し国会を解散。ラジオ放送で伝えられ「静かなクーデター」と呼ばれる

  58・10 サリット将軍がクーデターで独裁を強化。翌年、首相就任

  71・11 タノム首相の「革命団」が政権強化のためクーデター

  73・10 「10月14日政変」で軍事独裁が崩壊

  76・10 サガット海軍大将のクーデターでターニン内閣が成立

  77・10 サガット海軍大将の「革命団」によるクーデターで軍政に

  81・4  ヤングタークス(青年将校団)によるクーデターが失敗

  85・9  陸軍大佐らの「革命団」クーデターが失敗

  91・2  スントン国軍最高司令官らによる「国家平和秩序維持団」がクーデター

2006・9  ソンティ陸軍司令官がクーデター

毎日新聞 2006年9月21日 東京朝刊

>>原因は軍部の考える国王下の「タイ式民主主義」と関係がある。政党政治が必ずしも国民各層の利害を代表するのではなく、時として私利私欲に走る利益集団になって社会に腐敗と混乱を招く、という考え方だ。


クーデターを支持する側の発想が日本の大日本帝国憲法下のクーデターと支持した側の発想と似ているところが興味深い。
今でも政党政治が、時として私利私欲に走る利権集団であるという印象は、現在の日本にもある。


ただ今回のクーデターと戦前の日本のクーデター(226事件)との大きな違いは

経済状態が好況で、社会不安があまりないこと(日本は大不況だった)
周辺諸国との軋轢が少ないこと(日本は満蒙問題で、総スカン状態)
クーデター側が早期に民政に移管することを公約していること(日本では、クーデターを鎮圧した勢力が、さらに政治を混迷させた。たとえば東条英機は鎮圧側)

であろうか。